朝のアラームが鳴って、柚葉は布団から片手だけ出し、スマホを止めた。
目は1ミリも開いていない。脳みそはまだ夢の国に滞在中。
「……あと5分……いや……永遠……」
布団の中は天国。外界は地獄。
体は動かないのに、胸だけがソワソワして妙に落ち着かない。
(寝てるのに疲れてるって何……?)
起き上がろうとした瞬間、ズーンと肩が重くなり、胸の奥がキュッと締めつけられた。
「え、なにこれ。私、寝てるだけでストレス受信してる……?」
ふらつきながらリビングへ行き、水を飲んでみても頭はぼんやり。
昨日のレポート提出、バイト、友達の相談、明日のゼミ発表。
休んでいても、心だけが走り続けているようだった。
「……なんか、息が浅い……」
そう思った瞬間、視界がふっとゆがんだ。
次の瞬間、柚葉はキラキラ輝く豪華なコンサートホールに立っていた。
でもその光景は、華やかさよりも混乱のほうが強かった。
中央では、肝が指揮者としてタクトを振っている――が、その動きは明らかに荒い。
「テンポ合わせろ! 気が巡らないんだ!!」
弦楽器担当の肺が必死に音を合わせようとするが、呼吸が浅くてフレーズが乱れる。
「はぁ……息が足りない……音にならない……」
鍵盤担当の脾はクタクタで、椅子にしがみついている。
「……ごめんなさい……エネルギー不足で……指が動かない……眠い……」
打楽器担当の腎は背中を丸め、太鼓にもたれかかっている。
「……休みたい……静かに……横になりたい……」
そして柚葉の頭上には、黒いモヤが漂っていた。
「ぷるるる〜〜不協和音最高〜〜」
黒い煙のような影が笑っている。姿は見えないのに、重くまとわりつくような存在感。
「……外邪?それともストレス妖怪??」
影は踊るように柚葉の周りを回り、囁いた。
「私は“交感神経暴走モード”。
休んでても、スイッチOFFできない君の脳みその残業魔だよ〜〜。」
柚葉は叫んだ。
「え、私の体内、ブラックサーバー稼働中!?
寝てるのに稼働時間超過してるの!?」
肝が怒りながら言う。
「巡りたい!動きたい!でも通路が乱れてる!」
肺が続く。
「呼吸が浅いから……落ち着けない……」
脾は泣きそうになりながら囁く。
「消化弱ってるから、寝ても補給できない……」
腎は小さく呟く。
「……休息が必要……回復には静けさが必要……」
柚葉は頭を抱えた。
「いやこれ……体内オーケストラ、完全にリハ崩壊じゃん!!」
その時だった。
ホール天井から、ふわりと甘い香りが降り注いだ。
「これは……蜂蜜?」
蜂蜜が光の粒になって舞い降り、ホール全体に広がる。
肺が深く息を吸う。
「……甘さが緊張をゆるめる……呼吸が深くなる……」
続いて、柔らかな香りの湯気が立ち上がった。
「ホットミルク……!」
脾が椅子からゆっくり立ち上がる。
「……優しい温かさ……胃腸が喜んでる……」
次に、淡い赤色の光が丸く転がった。
「これ、りんご?」
腎がその光を優しく手に取る。
「りんごは落ち着きを与える……疲れた心を静める……脾も補う……」
最後に、しんと落ち着いた黒い光が広がった。
「黒豆……?」
黒豆は穏やかに言った。
「土台が整えば、心も呼吸も巡りも整う。焦らなくていい。」
その瞬間、ホール全体の空気がゆっくり解けていくように柔らかく変わった。
肝がふっと息を吐いた。
「……テンポ戻ってきた。」
肺は静かに呼吸し、脾は鍵盤に手を置き、腎は背筋を伸ばした。
音が――重なり始めた。
バラバラだった音が、ゆっくりひとつの調和になっていく。
柚葉はそれを聞きながら、小さく笑った。
「……あぁ……これ、私の呼吸だ。」
景色がふっと揺れて、柚葉は現実に戻った。
自室。
机の横には、昨日コンビニで買った温めるだけの小さなミルクパックと、切って食べかけのりんごがある。
柚葉はゆっくり息を吸い、吐いた。
「……今は、走るんじゃなくて、整える時間、か。」
温めたりんごとホットミルクを飲みながら、柚葉は小さく笑った。
胸の奥のざわざわが、すこしずつ静かになっていく。
「よし……今日は、自分のペースで生きてみよ。」

外の世界はまだ忙しいままだけど、
柚葉の体内オーケストラは――ようやく、静かに音を奏で始めていた。
