朝。
柚葉はトイレにこもっていた。
「……出ない。」
すでに10分は経っている。スマホの時計を見つめながら、額にじわりと汗がにじむ。
「昨日も、その前の日も……出てないんだよね。てか、腸、サボリすぎじゃない?」
便秘3日目。
お腹は張ってるのに、食欲は普通にある。むしろ、深夜のポテチもぺろっと完食した。
「Wi-Fiも腸も通信障害中……。信号出してんのにレスポンス返ってこない系?」
ため息をついて立ち上がる。鏡を見ると、肌もどこかくすんで見える。
「うわ……肌まで巻き添えかよ。腸内ブラックアウト、全身影響型じゃん」
寝不足・カフェイン過多・コンビニ食。
思い当たる原因は多すぎて、もはや誰が戦犯かわからない。
「どうする? 便秘薬……? いや、あれ飲むと腹痛コースだし……“自然に出す方法”で検索……っと」
スマホに「お通じ 即効 ストレッチ」と打ち込みかけて、途中でやめた。
「……いや、そういう努力できる人、便秘にならないんだよね」
頭を抱えた瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。
柚葉は気づけば、巨大なパイプが縦横に走る不思議な空間に立っていた。
湿気はなく、乾いた空気が肌を刺す。
天井の管からポタリ……と一滴の水が落ちてくるが、すぐに蒸発して消えた。
「……ここ、まさかの体内トイレ配管?」
その奥で、ヘルメットをかぶった青年がスコップを持ち、必死に掘っている。
額には汗。背中は泥まみれ。
「うう……動かない……。詰まってる……」
柚葉は駆け寄った。
「だ、大丈夫!? 誰!?」
青年は弱々しく振り返る。
「俺は“大腸”。本当なら、不要なものを外へ送る係なんだ。でも……道が乾いて、滑らないんだ」
パイプの壁はひび割れ、白く粉を吹いていた。
その上空から、落ち着いた声が降りてくる。
「呼吸を送っても届かない……。」
姿を現したのは肺。白い衣の裾が風に揺れている。
「俺は“肺”。上から気を巡らせるが、潤いが足りなくて下に伝わらない。肺と大腸は表裏の関係……俺が乾けば、下も動かなくなる」
肺はさらに言葉を続けた。
「便秘にもいろんなタイプがある。
熱がこもって硬くなる“熱秘”、ストレスで気が詰まる“気秘”、
そして今のお前のように潤いを失って乾く“陰虚秘”。
原因が違えば、整え方も違うんだ。」
柚葉は青ざめた。
「ってことは……私の体内、水道も送風機もストップしてるってこと!?」
その時だった。
「ドライが正義ぃぃぃ〜〜!!!」
突風とともに、サングラスをかけたマフラー男が現れた。
全身がパサパサで、髪から砂がこぼれている。
「俺は“燥邪Ver.2”! 湿度ゼロの快適地獄へようこそ! お前の腸をカッサカサにして、永久ストップしてやるぜ!」
彼の息が吹きつけるたびに、通路の水分が蒸発していく。
大腸はスコップを落とし、声を絞り出した。
「もう……潤滑油が……残ってない……」
肺も膝をついた。
「呼吸が……熱く、乾いていく……」
柚葉は叫ぶ。
「ちょ、やめて! 乾燥モードMAXとか、この冬の肌にも優しくないやつじゃん!!」
燥邪は鼻で笑う。
「潤いは怠惰! 乾けば陰なんて要らねぇ、俺が世界を軽くする!」
柚葉は頭を抱えた。
(いや、軽くなるどころか、出なくなるから!!)
その時、遠くから黒い粒がキラキラと舞い降りてきた。
香ばしい匂いとともに、どこか落ち着くような温もりが漂う。
「……これ、黒ごま?」
肺が顔を上げた。
「そうだ。黒ごまは潤いを与え、通りを滑らかにする。少量でも、滞った道を潤す力がある」
黒ごまの粒が通路のひびに入り込み、滑らかな光沢を取り戻していく。
大腸がスコップを再び握りしめた。
「……掘れる……! 通る……!」
続いて、金色の液体が上空からとろりと降り注いだ。
甘く、柔らかい香りが広がる。
「はちみつ!」
柚葉が叫ぶと同時に、通路がぬるりと輝きはじめた。
燥邪が顔をしかめる。
「うっ……ベタベタする……!」
肺が静かに言う。
「はちみつは肺を潤し、腸を動かす。自然の力で、優しく通す」
燥邪がマフラーを振り回す。
「甘ったるい! そんなもんで俺が溶けるか!」
しかし、そこへ透明な液体が差し込んだ。
それは黄金色に輝く――オリーブ油。
「……なんでオリーブオイル!?」と柚葉。
大腸が笑った。
「現代版“潤滑油”さ。西洋でも中医でも、腸を動かす力がある」
燥邪がつるりと足を滑らせて転んだ。
「ぬおっ!? 滑る! ドライの敵ぃぃぃ!」
地面が潤いを取り戻し、乾いた砂がゆっくりと溶けていく。
柚葉は息をついた。
「……腸って、潤いがないと動かないんだ……」
肺が頷く。
「潤いは命の滑り。呼吸も排泄も、流れで成り立っている」
燥邪は最後の抵抗を見せた。
「まだだ……俺には“ドライスナック”軍団が……!」
その瞬間、空からフルーティーな香りが広がった。
りんごとバナナ。
皮ごと光を放ちながら転がり落ちる。
「食物繊維部隊、参上〜!」
りんごが笑いながら言う。
「私は“整腸の果実”! 優しくまとめて押し出すのが得意なの!」
バナナも続く。
「僕は“潤滑サポート”! 食物繊維とカリウムで流れを整える!」
燥邪は二人の勢いに押され、あっけなく壁に激突。
「ぐわぁぁ! 俺様のドライ王国が……潤っていくぅぅぅ〜!」
彼の体はボロボロに崩れ、粉のように風に消えた。
静けさが戻る。
通路はつやつやと輝き、水が緩やかに流れていく。
肺は深く息を吐いた。
「これで大丈夫だ。上と下がつながった」
大腸はスコップを立てて笑った。
「今日の出荷、いける!」
柚葉は額の汗を拭い、苦笑した。
「……なるほど。出ない原因は“乾燥ブラック配管”と外部クレーマー(燥邪)だったわけね」
肺が優しく告げた。
「便秘は、誰もが同じではない。
熱で固まる人もいれば、気が詰まる人もいる。
お前のように乾いて止まる者も、力が足りず押し出せない者もいる。
――体の声を聞けば、出す力は戻る。」
ふっと景色が揺れ、柚葉は現実に戻った。
トイレの中。
時計を見ると、20分が経過している。
「……お? ……もしかして、きた……?」
静かな数秒ののち、柚葉の顔がぱっと明るくなった。
「よしっ! 通ったーー!!」
勢いよく立ち上がり、洗面台で顔を洗う。
鏡の中の顔が、少しスッキリして見えた。
台所の冷蔵庫を開けると、昨日買ったヨーグルトとはちみつが目に入る。
スプーンでひと口すくって食べながら、思わず笑った。
「便秘にもいろいろあるんだよね。
私のは“乾いて止まる砂漠タイプ”。
でも、潤せば動く――そんな単純さ、ちょっと好きかも。」
冷たい朝の光が差し込む中、柚葉はマグカップに温かいお茶を注いだ。
「潤滑オペ完了。今日もなんとか流れてくれよ、マイライフライン」
その声は、どこか軽く晴れやかだった。
