朝のアラームがけたたましく鳴った。
柚葉はスマホを枕元で探りながら、重たいまぶたをこじ開ける。
「……うわ、顔パンッパン」
鏡をのぞき込んで、思わずのけぞった。
まぶたは腫れぼったく、頬もふくらんで輪郭がぼやけている。昨日の夜、ゼミの発表準備で夜更かししたうえに、コンビニでポテチとカップ麺を平らげたのが祟ったのだろう。
「え、これ私の顔? 整形アプリの失敗加工みたいなんだけど!」
制服のブラウスのボタンを留めようとすると、首回りまで窮屈に感じる。足元に視線を落とせば、靴下のゴム跡がクッキリ残っている。
「うわぁ……完全に“むくみ案件”……」
髪をまとめながら、ため息をつく。体が鉛みたいに重くて、エンジンがかからない。
(寝不足と塩分過多って、ここまでくるんだ……。これで一日持つの?)
化粧ポーチを広げ、コンシーラーで顔を必死にごまかす。だけど鏡の中の自分は、どこかぼんやりして生気がない。
「もう……朝から水風船持ち歩いてるみたいな気分……」
呟いた瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。
足元が崩れ、柚葉は暗い迷路の中に立っていた。
そこはじめじめとした「むくみ迷宮」。
壁は水を吸ったスポンジのようにぐっしょり濡れていて、床を踏みしめるたびにジュクッと音が鳴る。湿気が立ちこめ、空気は重く、喉まで水気で詰まるようだ。
「なにこれ……梅雨の部屋干し部屋かよ……カビる五秒前!」
鼻をつまみながら歩を進めると、中央で脾が膝をついていた。大きな器を抱え込み、肩で息をしている。
「ごめんなさい……水湿が体にたまりすぎて、食べ物を力に変える余裕が……ない」
脾の足元には、濁った水が池のように広がっていた。
さらに奥から、青い衣をまとった腎が姿を現す。目の下に影を落とし、肩は重く垂れている。
「水をつかさどる私の力が弱く……本来なら下へ流すはずの水を動かせないんだ」
二人の言葉に柚葉は青ざめた。
「え、つまり……私の体内、排水設備ぶっ壊れて下水逆流中ってこと!?」
その時だった。
「ヌメヌメぷるぷる〜、重〜くしてやるぅ!」
ぬめった声とともに、迷宮の壁から緑がかった怪物がにゅるりと這い出してきた。
頭は海藻のようにボサボサ、体はゼリーの塊。歩くたびに水たまりができる。
柚葉は慌てて叫ぶ。
「なにあれ!? ヌルヌルした外邪!?」
肺が横から冷静に補足する。
「湿邪だ。外から侵入し、体を重くして水の巡りを妨げる」
怪物は得意げに両手を広げた。
「そうだぷるぅ〜。お前の体をヌメヌメにして、動きを重くするのが俺の趣味! 水路なんて詰まらせてナンボ!」
湿邪は脾の器にベチャッと張りつき、腎の足を泥のように絡めとる。
二人の動きはさらに鈍り、濁流があふれ出した。
「やめろ〜! 私、今日ゼミあるんだから! このままじゃ顔パンパンで“むくみ芸人”デビューしちゃうじゃん!」
必死に叫ぶ柚葉の背後から、剣を携えた肝が現れた。
だが刃は湿気で錆びつき、まともに振り下ろせない。
「通路が湿気でぬかるんで……剣が巡らん!」
「いや完全にダンジョンのデバフだよ! 湿度MAXの嫌がらせ仕様か!」
柚葉は頭を抱える。
体内世界は完全に「水浸しブラック迷宮」と化していた。
その時だった。
頭上から白い粒がサラサラと降り注いだ。雨粒のようにきらめきながら、濁流を吸い取っていく。
「これ……はとむぎ?」
脾が顔を上げる。
「そう……はとむぎは水分をさばき、余分な湿を取り去る。私を助けてくれる……」
次に、赤い小さな粒がぽとぽと落ち、地面から芽を出した。
「小豆……!」
腎が目を見開く。
「利水の力がある。むくみを追い出して、水の流れを取り戻す」
迷宮のぬかるみが少しずつ乾いていく。
さらに、透明な果肉をもつ冬瓜がふわりと舞い降り、冷ややかな光を放った。
肺の声が響いた。
「冬瓜は熱をさまし、水を流してくれる」
湿邪はバシャバシャともがく。
「やめろぉぉ! 俺様のヌメヌメ迷宮がカラカラになっちゃう〜!」
最後に、柚葉の足元に温かい風が吹いた。
「これ……生姜?」
肝が頷く。
「そうだ。巡りを温め、停滞を解く。湿に阻まれた剣を動かせる!」
剣が再び光を帯び、湿邪の体を裂いた。
「ぎゃあああ! 乾く〜! 俺様のぷるぷるがぁぁ!」
湿邪は崩れ落ち、迷宮の濁流も静かに引いていった。
脾は器を抱え直し、顔色が戻っていく。
「これで食べ物を力に変えられる……」
腎も静かに息をつき、肩の重みを下ろした。
「水路が開けば、下へ流せる」
肝は剣を収め、胸を張った。
「通路が乾いた。巡りを取り戻せる」
柚葉はその場に座り込み、深呼吸した。
「なるほど……むくみって、体内迷宮に湿邪が乱入してたせいだったんだ」
迷宮の景色がふっと揺れ、気づけば自分の部屋に戻っていた。
鏡を見ると、まだ少し顔は腫れぼったい。けれど、さっきよりはスッキリしている気がする。
冷蔵庫を開けると、昨夜バイト先の先輩が「いらないから食べて」と押し付けてきた「小豆と冬瓜スープ」のタッパーが入っていた。
レンジで温め、一口すすると、優しい甘みと涼やかさが体に染み込んでいく。
「……これ、スッとする。アプリ加工より自然な補正かも」
柚葉は軽く笑い、コートを羽織った。
外はまだ冬の冷たい風。けれど胸の奥は、少しだけ軽やかになっていた。
