第2話 眠れぬ夜の心火と腎水(不眠編)

柚葉はベッドの上で、天井をにらんでいた。
時計の針は夜中の二時を回っている。

部屋の隅には、飲みかけのペットボトルと、カップ麺の空き容器。
机の上には、開きっぱなしの教科書と、半分残った安物のお菓子の袋。
ペットボトルは飲みかけが2本、どっちが昨日のか今日のか、もう見分けつかんやつ。

「やば……全然眠くない」

テスト前に夜更かしすること自体は珍しくない。
でも今日は勉強も終わらせたのに、頭がギラギラして眠れなかった。
枕をぎゅっと抱きしめ、目を閉じても、胸のあたりで心臓がドクンドクンとうるさい。

「……心臓が通知オンにしてるみたいなんだけど」

独り言に自分で苦笑しつつ、寝返りを打つ。部屋は真っ暗で、外の車の音がやけに大きく聞こえる。
眠れないと余計に考え事が増える。明日の発表のこと、家計のこと、課題の締め切りのこと……。

「やば……このまま朝までコース? 羊でも数える?」

スマホを手に取って「羊 数え方」なんて検索しかけ、慌てて置き直す。
「いやいや、スマホ触ったらもっと寝られなくなるやつじゃん」

布団をかぶり直すが、胸の奥で熱がこもったようにざわざわする。
頭は冴えているのに体は疲れていて、なんとも言えない不快感。

「なんか……体の中で火事が起きてるみたい……」

そう呟いた瞬間、視界がぐにゃりと揺れた。

暗闇がほどけ、目の前に広がったのは――赤と青の光がせめぎ合う、奇妙な空間だった。

赤と青の光が入り混じる世界。
柚葉の前に、燃えさかる焔をまとった青年が立っていた。髪は炎のように揺らぎ、瞳まで赤く燃えている。

「僕は“心”。君の鼓動を響かせ、気持ちを燃やす役目を持つ」

その声は力強いのに、不安を煽るように速すぎた。
ドクン、ドクン――彼の鼓動に合わせて、柚葉の胸も騒がしく跳ねる。

「ちょ、ちょっと待って! 燃えすぎじゃない!? 私の心臓、今ドラムソロ状態なんだけど!」

青年――心は苦しげに笑った。
「止められないんだ……。燃え続けるのが僕の性質。だけど今は炎が強すぎる……」

その時、奥からかすれた声が聞こえた。
「……もう少し、待って……」

闇の中から現れたのは、青い水流をまとった人物。
落ち着いた雰囲気だが、性別はわからない。声も透き通るようで、どちらとも言えない響きをしている。

「私は“腎”。本来なら水を送って、心の炎を抑える役目がある。
でも……今は力が足りなくて……」

水の流れは弱々しく、心の炎に近づくとすぐに蒸発してしまう。

「えぇ……まさかの水不足!? てか私の体の中、今キャンプファイヤーと水道管トラブルが同時発生ってこと?」

心は炎を振り乱しながら、柚葉に訴える。
「眠れないのは僕のせいだ。炎が高まりすぎて、夜なのに頭を冴えさせてしまう」

腎は顔を歪め、肩を震わせながら言う。
「私が水を蓄えられないから……つながりが途切れて、君を眠らせられないんだ」

赤い炎と青い水。その間に立たされ、柚葉はただ呆然と呟いた。
「……え、私の不眠って、要するに“心の火事”と“腎の水不足”の相性最悪コンビってこと?」

心と腎は一瞬きょとんとした顔をして、それから同時に小さく頷いた。

赤い炎が激しく揺らぎ、青い水は蒸発しながら必死に食い止めていた。
柚葉はオロオロと二人の間を見比べる。

「いやいや、このままじゃ火事で全焼だし、水道管は空っぽだし……どうすればいいの!?」

その時だった。
ふわりと白い花びらのような光が降り注いだ。
柔らかな甘い香りが漂い、柚葉の目に、小さな白い塊が浮かんでいるのが映った。

「……これ、百合根?」

白い塊を見て柚葉は声を上げた。
「知ってる! 茶碗蒸しに入ってる、ほくほくのやつ!」

すると脇から声がした。落ち着いた青年――肺が再び現れる。
「そうだ。百合根は心を鎮め、炎を落ち着かせる。眠りを導く食材だ」

続けざまに、丸い金色の粒が舞い降りてくる。

「これ……蓮の実?」柚葉は首をかしげた。

「ハスの花の真ん中にできる実だ。日本ではあまり馴染みがないが、中国や薬膳ではよく使う。腎と脾を補い、心を養う」肺が説明する。

柚葉は目を丸くした。
柚葉「へぇ……ハスって花しか知らなかったけど、実まで食べられるんだ!」

脾が少し微笑みながら補足する。
「そうなの。地下に広がる茎の部分が“レンコン”。日本の食卓でよく煮物や天ぷらになるのはそっちね。五行では“脾”を助けてくれる食材なのよ」

柚葉はぱちぱちと瞬きをした。
「え、あのシャキシャキのレンコンと、この金色のツブツブ、同じハスからできてるの?」
脾はこくりと頷き、胃袋を抱え直す。
「そう。同じハスでも部位によって効き方が違う。蓮の実は“腎”や“心”をつなぐけれど、レンコンは私“脾”を支えてくれるの」

蓮の実が腎の手に収まり、百合根の花びらが心の炎に触れた瞬間――赤い炎が少しずつ穏やかになり、蒸発していた水がしっかり流れ始めた。

心は息を吐き、肩の力を抜いた。
「……ああ、静かになった……。燃やしすぎなくていいんだな」

腎も背筋を伸ばし、安堵の笑みを浮かべる。
「水が戻った……。これで再び、心とつながれる」

柚葉はほっとして、その場にぺたんと座り込んだ。
「なるほど……夜に寝られないのって、要するに心のキャンプファイヤーが燃えすぎて、水の補給が追いつかないってことか」

肺は淡々と頷く。
「言い方は自由だが、本質はそうだ。君が選ぶ食べ物や休み方が、このバランスを守る」

柚葉は苦笑いを浮かべた。
「うわ、完全に生活習慣ディスられてる気がする……」

炎は穏やかに揺らめき、水は静かに流れを取り戻した。
心と腎は互いに目を合わせ、小さく頷く。

「これで眠れるはずだ」
「つながりが戻ったからな」

柚葉は胸の奥がふっと軽くなるのを感じた。
熱に追い立てられるようなざわつきが消え、代わりに心地よいまどろみが体を包んでいく。

「……あ、なんか、眠気が……」

視界がゆらりと揺れ、光がほどけていく。

――気がつけば、自分の部屋のベッド。
時計の針は三時を回っていた。
さっきまで胸の奥で大暴れしていた鼓動は、今は落ち着いている。

「夢……だったのかな……」

そう呟きながら、柚葉は布団をかぶり直した。
安心感がじわじわ広がり、まぶたが重くなっていく。

眠りに落ちる直前、彼女はぼそりと笑った。
「羊を数えたら100匹超えて逆にストレスだったし……。てか途中で1匹脱走したんだよね……私の脳内、自由すぎん?」

その言葉を最後に、柚葉は静かに夢の中へと沈んでいった。

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この記事を書いた人

国際中医薬膳師のいろはが薬膳の効果と普段食べている食材にも効能があることをお伝えします。

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