柚葉はベッドの上で、天井をにらんでいた。
時計の針は夜中の二時を回っている。
部屋の隅には、飲みかけのペットボトルと、カップ麺の空き容器。
机の上には、開きっぱなしの教科書と、半分残った安物のお菓子の袋。
ペットボトルは飲みかけが2本、どっちが昨日のか今日のか、もう見分けつかんやつ。
「やば……全然眠くない」
テスト前に夜更かしすること自体は珍しくない。
でも今日は勉強も終わらせたのに、頭がギラギラして眠れなかった。
枕をぎゅっと抱きしめ、目を閉じても、胸のあたりで心臓がドクンドクンとうるさい。
「……心臓が通知オンにしてるみたいなんだけど」
独り言に自分で苦笑しつつ、寝返りを打つ。部屋は真っ暗で、外の車の音がやけに大きく聞こえる。
眠れないと余計に考え事が増える。明日の発表のこと、家計のこと、課題の締め切りのこと……。
「やば……このまま朝までコース? 羊でも数える?」
スマホを手に取って「羊 数え方」なんて検索しかけ、慌てて置き直す。
「いやいや、スマホ触ったらもっと寝られなくなるやつじゃん」
布団をかぶり直すが、胸の奥で熱がこもったようにざわざわする。
頭は冴えているのに体は疲れていて、なんとも言えない不快感。
「なんか……体の中で火事が起きてるみたい……」
そう呟いた瞬間、視界がぐにゃりと揺れた。
暗闇がほどけ、目の前に広がったのは――赤と青の光がせめぎ合う、奇妙な空間だった。
赤と青の光が入り混じる世界。
柚葉の前に、燃えさかる焔をまとった青年が立っていた。髪は炎のように揺らぎ、瞳まで赤く燃えている。
「僕は“心”。君の鼓動を響かせ、気持ちを燃やす役目を持つ」
その声は力強いのに、不安を煽るように速すぎた。
ドクン、ドクン――彼の鼓動に合わせて、柚葉の胸も騒がしく跳ねる。
「ちょ、ちょっと待って! 燃えすぎじゃない!? 私の心臓、今ドラムソロ状態なんだけど!」
青年――心は苦しげに笑った。
「止められないんだ……。燃え続けるのが僕の性質。だけど今は炎が強すぎる……」
その時、奥からかすれた声が聞こえた。
「……もう少し、待って……」
闇の中から現れたのは、青い水流をまとった人物。
落ち着いた雰囲気だが、性別はわからない。声も透き通るようで、どちらとも言えない響きをしている。
「私は“腎”。本来なら水を送って、心の炎を抑える役目がある。
でも……今は力が足りなくて……」
水の流れは弱々しく、心の炎に近づくとすぐに蒸発してしまう。
「えぇ……まさかの水不足!? てか私の体の中、今キャンプファイヤーと水道管トラブルが同時発生ってこと?」
心は炎を振り乱しながら、柚葉に訴える。
「眠れないのは僕のせいだ。炎が高まりすぎて、夜なのに頭を冴えさせてしまう」
腎は顔を歪め、肩を震わせながら言う。
「私が水を蓄えられないから……つながりが途切れて、君を眠らせられないんだ」
赤い炎と青い水。その間に立たされ、柚葉はただ呆然と呟いた。
「……え、私の不眠って、要するに“心の火事”と“腎の水不足”の相性最悪コンビってこと?」
心と腎は一瞬きょとんとした顔をして、それから同時に小さく頷いた。
赤い炎が激しく揺らぎ、青い水は蒸発しながら必死に食い止めていた。
柚葉はオロオロと二人の間を見比べる。
「いやいや、このままじゃ火事で全焼だし、水道管は空っぽだし……どうすればいいの!?」
その時だった。
ふわりと白い花びらのような光が降り注いだ。
柔らかな甘い香りが漂い、柚葉の目に、小さな白い塊が浮かんでいるのが映った。
「……これ、百合根?」
白い塊を見て柚葉は声を上げた。
「知ってる! 茶碗蒸しに入ってる、ほくほくのやつ!」
すると脇から声がした。落ち着いた青年――肺が再び現れる。
「そうだ。百合根は心を鎮め、炎を落ち着かせる。眠りを導く食材だ」
続けざまに、丸い金色の粒が舞い降りてくる。
「これ……蓮の実?」柚葉は首をかしげた。
「ハスの花の真ん中にできる実だ。日本ではあまり馴染みがないが、中国や薬膳ではよく使う。腎と脾を補い、心を養う」肺が説明する。
柚葉は目を丸くした。
柚葉「へぇ……ハスって花しか知らなかったけど、実まで食べられるんだ!」
脾が少し微笑みながら補足する。
「そうなの。地下に広がる茎の部分が“レンコン”。日本の食卓でよく煮物や天ぷらになるのはそっちね。五行では“脾”を助けてくれる食材なのよ」
柚葉はぱちぱちと瞬きをした。
「え、あのシャキシャキのレンコンと、この金色のツブツブ、同じハスからできてるの?」
脾はこくりと頷き、胃袋を抱え直す。
「そう。同じハスでも部位によって効き方が違う。蓮の実は“腎”や“心”をつなぐけれど、レンコンは私“脾”を支えてくれるの」
蓮の実が腎の手に収まり、百合根の花びらが心の炎に触れた瞬間――赤い炎が少しずつ穏やかになり、蒸発していた水がしっかり流れ始めた。
心は息を吐き、肩の力を抜いた。
「……ああ、静かになった……。燃やしすぎなくていいんだな」
腎も背筋を伸ばし、安堵の笑みを浮かべる。
「水が戻った……。これで再び、心とつながれる」
柚葉はほっとして、その場にぺたんと座り込んだ。
「なるほど……夜に寝られないのって、要するに心のキャンプファイヤーが燃えすぎて、水の補給が追いつかないってことか」
肺は淡々と頷く。
「言い方は自由だが、本質はそうだ。君が選ぶ食べ物や休み方が、このバランスを守る」
柚葉は苦笑いを浮かべた。
「うわ、完全に生活習慣ディスられてる気がする……」
炎は穏やかに揺らめき、水は静かに流れを取り戻した。
心と腎は互いに目を合わせ、小さく頷く。
「これで眠れるはずだ」
「つながりが戻ったからな」
柚葉は胸の奥がふっと軽くなるのを感じた。
熱に追い立てられるようなざわつきが消え、代わりに心地よいまどろみが体を包んでいく。
「……あ、なんか、眠気が……」
視界がゆらりと揺れ、光がほどけていく。
――気がつけば、自分の部屋のベッド。
時計の針は三時を回っていた。
さっきまで胸の奥で大暴れしていた鼓動は、今は落ち着いている。
「夢……だったのかな……」
そう呟きながら、柚葉は布団をかぶり直した。
安心感がじわじわ広がり、まぶたが重くなっていく。
眠りに落ちる直前、彼女はぼそりと笑った。
「羊を数えたら100匹超えて逆にストレスだったし……。てか途中で1匹脱走したんだよね……私の脳内、自由すぎん?」
その言葉を最後に、柚葉は静かに夢の中へと沈んでいった。
