おじやと仮初めの夢
翌朝の《喫茶つむぎ》は、まだ開店前の静けさに包まれていた。
昨日の鍋の余韻が、店の奥にほのかに残っている。
私は厨房で、鍋に残った具材を細かく刻み、米を入れて火にかけていた。
だしを吸った野菜と鶏の旨みが混じり合い、ゆっくりと湯気が立ちのぼる。
——まかないのおじや。
ぐつぐつ、という音が落ち着いたころ、扉のベルが鳴った。
「おはよう。……あら、いい匂いね」
入ってきたのは真理子さんだった。
コートを脱ぎながら、鼻先をくすぐる香りに目を細める。
「今日は、まかないを作ってるんです」
そう答えると、真理子さんは少し考えてから、ふっと笑った。
「じゃあ、その“まかない”を注文してもいい?」
一瞬、言葉に詰まったけれど——
不思議と、断る理由は見つからなかった。
「……はい。少しお時間いただきますけど」
真理子さんはカウンターに腰を下ろし、マグカップを両手で包む。
「実はね、夢の話をしてもいい?」
「もちろんです」
「初夢で、私……髪が真っ白になる夢を見たの」
思わず、手が止まる。
「それでね、なんだか嫌で。
老けたとか、衰えたとか……そういうふうに思えて」
少し間を置いて、続けた。
「でも翌日は、旅行に当たる夢を見たの。
知らない街で、切符を手にしてる夢」
真理子さんは、困ったように笑った。
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「だから、初夢をなかったことにしたくて」
私は鍋を弱火にしながら、静かに言った。
「白髪の夢って……
必ずしも悪い意味ばかりじゃないことも多いんですよ」
「そうなの?」
「はい。
“考えが成熟している”とか、“次の段階に進む準備ができた”とか。
それに、疲れが出ているサインのこともあります」
真理子さんは、ふっと肩の力を抜いた。
「……どっちにしても、変わり目ってことね」
「たぶん。
旅行の夢も、“分岐点”を示すことが多いですし」
私は仕上げに黒胡麻をすり、砕いたナッツを加えた。
胡麻の深い香りに、ナッツの軽やかなコクが重なる。
器によそい、そっと差し出す。
「今日は、特製のおじやです。
黒胡麻とナッツを入れてあります」
「……わぁ」
真理子さんは湯気を見つめてから、ひと口すくった。
「……やさしい」
次のひと口で、表情が少し変わる。
「でも、ちゃんと力がある味ね。
夢みたい。静かなのに、先が続いてる感じ」
私は思わず微笑んだ。
「黒胡麻は、内側を養ってくれます。
ナッツは、前へ進む力をそっと支えてくれるんです」
真理子さんは、ゆっくり食べ進めながら言った。
「じゃあ、白髪の夢も……
悪い夢じゃなかったのかも」
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「“仮初め”だっただけかもしれませんね」
食べ終えた器を見つめ、真理子さんは静かに言った。
「夢って、答えじゃなくて、ヒントなのね」
「……そう思います」
窓の外では、朝の光が少しずつ強くなっていた。
私はレシピ帳を開き、余白に書き足す。
——余ったものから、生まれる答えもある。
——夢は消すものじゃなく、ほどいて使うもの。
真理子さんは席を立つ前に、振り返った。
「また、夢を見たら話していい?」
「はい。いつでも」
扉が閉まると、店内には胡麻の香りと、静かな余韻だけが残った。
昨日の鍋。
今日のおじや。
そして、仮初めの夢。
どれも、次へ進むための途中にあるものだった。
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今日の薬膳ミニ知識
■ 黒胡麻(くろごま)
・血と腎を養い、疲労や気力低下をやさしく補う。
・考えすぎや消耗が続いた後の“内側の空っぽ感”に向く。
・髪や肌、眠りを支える食材としても知られる。
■ ナッツ類(くるみ・アーモンドなど)
・気血を補い、心身の回復を助ける。
・不安感や迷いがある時、前へ進む力をそっと後押しする。
・少量でも満足感があり、疲れている時の食事に◎。
■ おじや
・消化にやさしく、弱った胃腸を休ませながら整える。
・“余ったもの”を無駄にせず、次につなぐ養生食。
・体だけでなく、気持ちも落ち着かせる力がある。
→ 夢や不安は、消すものではなく“ほどいて使うもの”。
内側を養う食事は、心の変わり目を静かに支えてくれます。
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