第18話　陳皮茶

2025年11月3日

陳皮茶と入れ替わった鞄

午後の《喫茶つむぎ》。
慌ただしいベルの音が鳴り響き、若い女性が勢いよく店に飛び込んできた。
あんずは顔を見て、すぐに思い出した。――つい先ほど、アイスコーヒーを注文していたお客さまだ。

女性は焦った様子でカウンターに身を乗り出した。
「すみません……黒のトートを忘れたかもしれなくて。大切なUSBが入っていたんです。
さっき《つむぎ》でお茶した時に、店内で誰かとぶつかって……。同じ鞄だったから入れ替わったのかも。
ほかに心当たりがなくて、急いで戻ってきました」

その時、再びベルが鳴り、黒のトートを抱えた男性が駆け込んできた。

「これ、誰かのじゃないですか？　中にUSBが入ってて……あれ？　ぼくのじゃなかったみたいで」

女性はすぐに声を上げた。
「それ、私のです！」

二人は慌てて鞄を交換する。
男性は軽く頭をかきながら名乗った。
「えっと……高瀬陸っていいます。いやぁ、まさか入れ替わってたなんて」

女性は深く息を吐き、ようやく笑みを見せた。
「本当に助かりました」

そのやり取りを見ながら、あんずの脳裏には先日のことがよみがえった。
――高瀬陸が、汗だくで「暗号を解いたら“TSUMUGI”だったんです！」と飛び込み営業に来た日のことだ。
オーガニックのザクロジュースを差し出しながら、得意げに謎解きを語る彼に、店内は一瞬ぽかんとして……そして思わず笑いがこぼれたのだった。

そんな天然エピソードを思い出しながら、あんずは小声でつむぎに囁いた。
「……やっぱり、この人って不思議ですよね」
つむぎは「ほんとにね」と、目尻を下げて笑った。

現実に戻った陸は、女性に向き直り、両手を合わせる。
「ほんとすみません！　じゃあ、せめてお茶くらい奢らせてください。陳皮茶なんてどうです？　飲めますか？」

女性は少し驚いたあと、頷いた。
「はい、いただきます」

あんずは湯気の立つカップを差し出しながら説明した。
「陳皮はみかんの皮を乾燥させたもの。気を整えて、胸のざわつきを落ち着けてくれますよ」

ふわりと柑橘の香りが広がる。
女性は一口飲んで、ほっと息をついた。
「……落ち着きますね。さっきまで心臓がバクバクしていたのに」

陸は満面の笑みを浮かべた。
「よかったぁ！　僕も一緒に頼めばよかったな」

女性もつられて笑みを返す。
その空気は不思議とやわらかく、店内にゆっくりと広がっていった。