ハチミツ大根と掠れた声
夕方の《喫茶つむぎ》。
窓の外は春めいてきた風が吹いていたが、まだ冷たい空気が残っている。
私はカウンターで大根を刻み、蜂蜜に漬け込んだ瓶を棚に置いた。
しばらく待てば、透きとおった甘い汁がにじみ出てくる――喉に優しいお手製の薬膳だ。
扉のベルが鳴り、見覚えのある姿が入ってきた。
「こんばんは……」
ギターケースを背負った青年――三浦 朝陽さんだ。
以前は歌詞が書けないと悩んでいたが、今日はどこか張りつめた表情をしている。
「いらっしゃいませ。少しお疲れのようですね」
声をかけると、彼は苦笑した。
「新曲はできたんです。……でも、声がかすれてしまって。
ライブが10日後に迫っているのに、声が思うように出ないんです」
カウンターに座り、処方薬の袋を机に置いた。
「耳鼻科で薬はもらいました。でも……他にできることはないかって思って」
私は瓶を指差した。
「これは大根を蜂蜜に漬けたものです。
大根は痰を切り、蜂蜜は潤いを与えて咳やかすれを和らげてくれます。
よければ、少し試してみますか?」
彼は驚いたように目を見開いた。
「はちみつ大根……聞いたことはあるけど、試したことはなくて」
そこへ、奥の席から蓮がギターを抱えて現れた。
「声が出にくいときは、無理に歌おうとせずに休ませるのが一番だな」
弦を爪弾きながら、落ち着いた声で続ける。
「部屋を加湿したり、水分をしっかり摂ったり。声帯はデリケートだから、環境を整えるだけでも回復が早まる。
ストレスを減らして体を緩めることも大事だ」
軽くリズムを刻み、笑みを浮かべる。
「歌えない時間こそ、音やリズムを頭の中で描く練習に充てればいい。声を休めつつも、音楽は磨けるんだ」
朝陽はじっと耳を傾け、そして小さくうなずいた。
「……そうか。歌えない時間を“無駄”じゃなくて、“準備”にすればいいんですね」
はちみつ大根の汁をスプーンで一口すすると、彼はほっと息をついた。
「……甘くてやさしい味。喉にすっと広がりますね」
私は微笑んだ。
「毎日少しずつでも続けてみてください。
薬膳は即効性より、体を整える力を積み重ねてくれるんです」
彼は頷き、カバンからノートを取り出して表紙を撫でた。
「焦ってばかりで、準備の仕方を忘れてました。……ありがとうございます」
蓮はギターを軽く鳴らし、飄々と笑った。
「10日後のステージ? 観客は声だけ聴いてるわけじゃない。
歌う姿も含めて音楽なんだ。――焦らず磨いてこい」
朝陽は吹っ切れたように笑い、店を後にした。
外の冷たい空気を背に受けながら、私は瓶を見つめた。
――蜂蜜の甘さと大根の清らかさ。
掠れた声にも、きっと明日を歌う力を取り戻してくれる。
今日の薬膳ミニ知識
・大根:痰を切り、咳をしずめ、消化を助ける。
・蜂蜜:潤いを与え、咳や声のかすれをやわらげる。
・「はちみつ大根」は古くから民間療法として親しまれており、特に歌う人や声を使う人におすすめ。
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