緑豆スープと見失った鍵
昼下がりの《喫茶つむぎ》。
外は晴れているのに、蒸し暑さが残り、じっとりとした空気が漂っていた。
私は厨房で緑豆を煮込みながら、コトコトと立ちのぼる湯気を眺めていた。
淡い緑色のスープは、火照った体を冷まし、夏の疲れをすっと和らげてくれる。
扉のベルが鳴り、スーツの腹まわりが少し窮屈そうな五十代半ばの石田さんが入ってきた。
いつもより顔は赤らみ、スーツの襟をゆるめ、額には玉の汗。
「いやぁ……暑くてまいりましたよ」
そう言って椅子にどさりと腰を下ろすと、ポケットをごそごそ探し始めた。
「……あれ? 鍵がない。オフィスからここまで来たはずなんですが」
表情が一気に曇る。
*
私は笑顔で声をかけた。
「お疲れさまです。今日は緑豆のスープがありますよ。体の熱を冷ましてくれて、頭もすっきりします」
「じゃあ、それをお願いします」
石田さんはため息をつきながら注文し、再びカバンの中を探り続けた。
やがて緑豆スープを運ぶと、奥から蓮がひょいと現れた。
ギターケースを肩にかけ、飄々と笑みを浮かべている。
「鍵か? 忘れ物は“どこで頭がぼんやりしたか”を思い出せば見つかるもんだ」
石田さんは苦笑いした。
「頭がぼんやり……確かに暑さで集中できてませんでしたね」
私はスープを指さした。
「まずはこれをどうぞ。緑豆は余分な熱を冷まし、体の中をすっきりさせてくれますよ」
*
石田さんがひと口すすった瞬間、ほっとしたように目を細めた。
「……なんだか体の奥に風が吹き抜けるみたいですね」
その言葉に蓮がくすりと笑った。
「ほら、頭も冴えてきただろ」
石田さんはスープを口に運びながら、急に顔を上げた。
「そうだ! カウンターの上に鞄を置いたときに……!」
慌てて鞄を開けると、奥底に鍵が転がっていた。
「やっぱりありましたよ。いやぁ、恥ずかしい」
蓮は肩をすくめて言った。
「忘れ物は体からのサインだ。暑さでぼんやりしたってことさ。……次は涼む前に休むんだな」
石田さんは照れ笑いを浮かべ、残りのスープを飲み干した。
体も心も軽くなったように見える。
ふと、何かを思い出したように眉を上げる。
「そうだ、緑豆といえば……これって、緑豆もやしの“豆”なんですか?」
私は笑ってうなずいた。
「はい、そうなんです。普段よく食べている“もやし”は、緑豆を発芽させたものなんですよ。
だから栄養のベースは同じですが、緑豆のスープのほうが“体の熱を冷ます”力がしっかりしているんです。特に夏の暑気あたりやのぼせにぴったりなんですよ」
石田さんは「なるほど!」と手を打ち、目を丸くした。
「一年中食べてるもやしに、そんな秘密があったとは……。夏にこのスープが重宝される理由、ようやく分かりましたよ」
*
外に出る石田さんの背中を見送りながら、私はつぶやいた。
「熱を冷ますと、見えなかったものまで見えてくるんですね」
蓮はギターを鳴らしながら、飄々と笑った。
「そうそう。この店は、忘れ物の探偵みたいなもんだ」
静かな午後の光が、緑豆スープの湯気にやわらかく溶け込んでいた。
今日の薬膳ミニ知識
緑豆:体の余分な熱を冷まし、暑気あたりやのぼせを和らげる。
清熱解毒:吹き出物やのどの渇きにも効果的。
集中力が途切れるときや、夏バテ気味のときにぴったり。
![]() | 価格:750円 |
