第11話 涙のリフレクションは心の泉で(心労編)

夜のアラームが鳴っても、柚葉はベッドの上で動けなかった。
レポートを提出して、課題も全部終わったはずなのに、心が空っぽだ。
スマホを開けば、友達の楽しそうな投稿が次々と流れてくる。
旅行、恋人、推しライブ、カフェ巡り。
どれもキラキラしていて、自分だけが世界から切り離されたみたいだった。

「なんかもう……疲れたって言葉すら、疲れた。」

天井を見上げて、息を吐く。
胸の奥がスカスカして、体が軽いのに、心は重たい。
泣けそうなのに、涙が出てこない。
頭の奥で、ぼんやりと自分の鼓動だけが響いていた。

そのとき――視界がぐにゃりと歪んだ。
まぶたの裏に赤い光が差し込み、柚葉はまた体内世界へと引きずり込まれていく。

そこは、干上がった湖の底だった。
泥はひび割れ、ところどころに枯れ草が突き刺さっている。
遠くで風が泣くように鳴っていた。

その中央で、真紅の衣をまとった“心”が膝をついていた。
長い髪が乱れ、頬の血色は消えている。
手の中の小さな杯には、わずかに光る赤い雫が残っていた。

「……私は“心”。感情と血を司る。でも、血が足りないの。
脾が弱って血を作れず、私の泉も干上がってしまった。」

柚葉は駆け寄る。
「血が足りないって……だから涙も出ないの?」

心は小さくうなずいた。
「そう。血は心の燃料。足りなくなると、喜びも悲しみも鈍くなる。」

その時、湖の亀裂から黒い影が滲み出た。
煙のように広がり、形を変えながら柚葉の足元に絡みつく。
冷たくて、重たい。

「うわっ……なにこれ、冷たい……!」

影はかすれた声で笑った。
「俺は“スカスカ影”。心血が足りなくなった人間の中に住みつく。
感情を乾かして、笑顔を奪うのが趣味なんだ。」

心が顔をしかめる。
「出ていきなさい……あなたのせいで、私の世界が枯れていく。」

「出ていけ? いやいや、乾いた場所こそ俺の住処だ。」

影が笑うたびに、湖の地面から砂が舞い上がり、光が吸い取られていく。
柚葉の胸も締めつけられ、息が詰まるような苦しさが込み上げた。

「……どうすれば、取り戻せるの? 心の泉の水を。」

心はかすかに微笑んだ。
「潤いと甘み。血を育て、気をやわらげる“優しさ”が必要なの。」

その瞬間、柔らかい香りが風に乗って漂った。
淡い光の粒が空から降り注ぐ。
赤い果実を髪飾りにした“棗(なつめ)”が現れた。

「人の心は、優しさで満たされるものよ。」
棗が手をかざすと、乾いた湖にじんわりと温かい赤色が広がった。
空気が少し甘くなる。

続いて、赤い瞳をした青年“竜眼肉(りゅうがんにく)”が現れる。
手のひらに小さな炎を灯し、穏やかに言った。
「温かさを思い出して。思考も感情も、冷えると動けなくなる。
僕は血を養い、心を落ち着ける。焦らなくていい。」

彼が指先で湖に触れると、火が水に変わり、少しずつ泉が戻り始めた。
だが、スカスカ影は声を荒げた。
「そんなぬるい甘さで俺は消えない! 潤ってもすぐ乾くさ!」

冷たい風が吹き荒れ、赤い水面が揺れる。
心がまた膝をついた。

そのとき、金色の光が差した。
甘い香りとともに現れたのは、琥珀色の瓶を背負った“はちみつ”の精。
髪の先がとろりと光り、穏やかな声で言う。

「焦らないで。潤いは、静かな時間と一緒に沁みていくの。」

はちみつが湖に一滴垂らすと、甘い波紋が広がった。
乾いた地面が柔らかくなり、柚葉の胸の奥まで温かさが広がっていく。

「……やさしい。けど、まだ足りない。」

心がそうつぶやいた瞬間、朱色の光がスッと差し込む。
髪に小さな赤い実を編み込んだ少女、“クコの実”が現れた。
眩しい笑顔で、胸を張る。

「ねえ、ちゃんと休んでる? 気と血の流れが止まると、心までカラカラになっちゃうよ!」

クコの実は両手を広げ、鮮やかな光を放った。
その光がスカスカ影の体を照らす。

「やめろ……まぶしい……!」

「まぶしいのは、あなたが闇だから。」クコの実が凛と答える。
「心が潤えば、闇は立っていられないの。」

光が弾ける。
影は叫び声を上げ、煙のように霧散した。
湖の水面は再び満たされ、赤い光が反射してきらめく。

心はゆっくりと立ち上がり、柚葉に向き直った。
「ありがとう。血が戻れば、心はまた動ける。
涙は、心が生きている証拠なんだよ。」

その言葉に、柚葉の頬を温かい雫が伝った。
いつの間にか、涙がこぼれていた。
でも、それは悲しい涙じゃなかった。
ほっとしたような、柔らかな涙だった。

「……あ、涙。出た。」

心は静かに微笑んだ。
「泣けるうちは、大丈夫。乾いていた心が、もう潤いを取り戻したから。」

光がふわりと広がり、柚葉の視界がゆっくりと戻っていく。

気づけば、朝の光がカーテンの隙間から差し込んでいた。
枕元には、昨日コンビニで買ったまま忘れていた牛乳と、はちみつの瓶。
キッチンでカップを取り出し、ミルクを温める。
そこに、棗とクコの実を数粒入れ、はちみつをひとさじ垂らした。

湯気の向こうから、ふんわりと甘い香りが広がる。
一口飲むと、体の芯までじんわりと温かくなった。
涙がまた少しにじむ。

「……うん、これなら泣いてもいいや。」

カップを両手で包みながら、柚葉は笑った。
胸の奥の泉が、もう一度ゆっくりと動き始めている。
それは、彼女の中の“心”が確かに生きている証だった。

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国際中医薬膳師のいろはが薬膳の効果と普段食べている食材にも効能があることをお伝えします。

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